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はじめに
「自社株買いとか新規株式発行って理論的に株価は前後で変わらない」
ファイナンスの授業ではこのように習います。
一方で投資の世界では
- 自己株式取得によりEPSが上昇し⇒株価があがる
- 新株発行はEPSが希薄化⇒株価が下がる
という認識が一般的です。
今回は、理論と実務のギャップがなぜ起きるのか説明していきたいと思います。
企業のIRを担当されたり、財務戦略を考える人にとって自社株買いは、1つの選択肢として必ず考えられる分野です。
なかなか答えが一つに決まることはないと思いますが、そのような人のIRを考える一助になれば幸いです。
なお今回の記事は、基本的に私個人の見解であり、他のテキスト等で載っている理論の解説でない点にご留意ください。
ファイナンスの教科書の中の自己株式取得
さてまずファイナンスの理論から見てみましょう。
今回もいきなり例題で解説するスタイルできます。まずB/S(貸借対照表)を見てみましょう。(B/Sについて不安な方は以下の記事を参照ください)

設備投資が多く必要な業態で、ほとんどを自己資金で賄っているような会社ですね。
ではこの会社の株価はどのように決まるでしょうか。
実はファイナンスの世界ではいろいろな計算方法があります。
将来期待される配当から計算する割引配当モデルが一般的ですが、今回は割引配当モデルを用いると複雑になりますので、
今回は貸借対照表を使った計算をしてみます。。
割引配当モデルについて気になる方は以下の記事をご参照ください。
最終的には資本(資本金+自己株式)が、株主に帰属する価値です。
この資本の部分の時価がわかれば、それを株式数で割って株価が出ます。
資本の時価は、資産の時価から負債の時価を差し引けば計算できます。

資本の時価を計算するために、資産と負債を時価にしてみましょう。
まず、現預金、売掛金、買掛金、棚卸資産。
これはよっぽど怪しい得意先と取引していたり、隠し滞留在庫がない限りは短期間でお金に代わるので簿価=時価です。
借入金は、将来の返済スケジュールを利率で割り引いたら計算されます。ただ、ここでも変動金利の場合は簿価=時価になりますし、現在利率もそれほど高くないので概ね簿価=時価と思っていただいて大丈夫です。
さて、固定資産だけが問題です。
固定資産の時価評価には、DCF法と呼ばれる方法が一般的に利用されます。
将来固定資産から生まれるキャッシュフローを会社の割引率(加重平均コスト WACCというものです)で割り引けば固定資産の時価が出るというものです。
ここの計算がわからなくてもこの記事の理解には影響ありませんのでご安心ください。
では、計算した結果を見てみましょう。(数字は仮定しただけなので適当です。)

この会社は、収益性が高かったので固定資産が時価で2倍となり、その結果差額で計算される株主資本の時価は160,000円となりました。
株式数が1,000だとすると株価は160円ですね。
では、自己株式を100株取得してみましょう。

160円×100株なので現金が16,000減少し、自己株式が16,000増加しました。
株主資本の時価は総資産の時価-総負債の時価なので、そのまま現金が減った部分の16,000円 時価が減少します。
これを自己株式控除後の発行株式総数(1000株-100株=900株)で割ると株価は160円となります。
理論的には、自己株式の取得前後で株価は変わらないわけですね。
現実世界の自己株取得
さて、ファイナンスの教科書では自己株取得は理論的に株価に影響を及ぼさないことがわかりました。
では、現実世界ではどうでしょうか。
先ほどの理論の仮定にどこか不自然な点があったのでしょうか。
一番の疑問点は、固定資産の時価。
固定資産から生まれる将来のキャッシュフローなんて投資家から見てわかるのか、という問題です。
実際に株式投資をしたらわかりますが、例えばコカ・コーラみたいな会社であれば前期と同じくらいのキャッシュフローが続くんじゃない?という想像は付きます。
でも半導体会社の2,3年後のキャッシュフローがどうなるかなんて全く想像がつきませんよね。
これをやろうと思ったらスマートフォンが今後どれくらい売れて、ウェアラブルがどうだ、PCがどうだというのをひとつひとつ考えないといけません。
実際にその企業に勤めている人ならともかく、外部の人がそれを考えるなんて不可能なんですよね。
外部の人が固定資産の実際の価値がわからないとなると先ほどの計算はどうなるでしょう。
自己株購入前から一つずつ考えてみましょう。

もはや投資家は、株主資本の時価160,000円は、知りようがありません。
彼らは産業の平均PERや得意先の経営環境等から予測値を出します。
この予測は、企業を過大評価しているパターンもあれば、過小評価しているパターンもあるでしょう。
株価が過大評価なケースの自己株取得
まず過大評価しているパターンから見てみましょう。
市場の株価は200円です。
企業の中にいる人は、適正株価が160円と知っています。(実際にはわからないですが、投資家よりは、正確にわかります。)
経営者は自分たちが思っている価格より自己株を市場で買える価格が高いことがわかっていますので、当然に自己株買いなんて行いません。
株価が過小評価の場合の株式取得
では、過小評価をしているパターンで見てみましょう。
市場株価は、100円です。
企業は実際の会社の価値よりも市場の株価が著しく低いので自己株を買ってもよいかなと考えます。
では、先ほどのB/Sから200株ほど購入してみましょう。

株価100円×200株なので、現金が20,000円減って、自己株が同額増えました。
では、一株当たりの株主価値はいくらに変わったでしょうか。
株主資本時価140,000円を自己株式控除後の株式数(1000株ー200株=800株)で割りますと175円になります。
先ほどの教科書の例とは違って自己株を安く買えたので1株当たり株主価値が160円から175円に上昇していますね。
自己株買いを企業が発表することの実質的な効果
自己株買いを企業が発表することは、内情をよく知っている企業が、自らの株価は、自分たちのもつ純資産時価よりも安すぎるということを発表していることになります。
その発表がなされることで、市場は企業の成長性について誤解があったことに気づき、投資家皆が今の株価が割安だと考え始めることになります。
株が買われ、株価が実際に上がっていくわけですね。
つまり情報が不足していた投資家に対して企業が自己株買いというメッセージを送ることで、投資家がミスプライシングに気づき株価が修正されるわけです。
このことから次のようなことがわかります。
市場に情報が不足している企業ほど自社株買いの効果が大きい
コカ・コーラであったり、例えばJRのような会社であれば製品の価格も完璧にわかっていますし、市場規模も容易にわかります。
この状況では、投資家も大きいミスプライシングはしません。
よって、自社株買いを発表したとしても配当と同じように一般的な株主還元の一つだと思われるだけで株価に大きい影響は与えません。
逆にAIを主に扱うようなIT企業であれば、投資家は期待をすごくしているけれど企業の中身をまったくわからないという状態です。
そうなると、自社株買いを行い情報発信することは、大きな効果が見込めるかもしれません。
自社株買いを行うときに注意点はないの?
さて、先ほどAI等の内情が一般に知られていない企業は自社株買いの効果が大きいという話をしました。
いきなり前言を撤回します!
これらの企業は、自社株買いを行うことはかなり危険です。
先ほどのB/Sをもう一度振り返りましょう。

このB/Sには実はもう一つ隠された仮定がありました。
企業が自社株買いをする現預金を持っている。
これは何を意味するかをしっかり理解してから自社株買いに及ばなければなりません。
企業が自社株買いをするということは、企業の価値は現在の時価よりも高いとアピールするだけではありません。
自社株買いをする以上にいい投資案件がないというメッセージを発することになります。
今よりももっと稼げる投資案件があれば、自社株買いなんかせずに固定資産に投資したほうが企業の価値はあがるんですね。
例えば先ほどのB/Sで適正株価は、160円でした。
もし、ほかに現在の同じような投資案件があって固定資産を会社が増やしたらどうなるでしょう。自社株買い20,000の代わりに固定資産に20,000投資してみましょう。同じ利益が上がる投資案件なので固定資産の時価は2倍になります。

自社株買いを行ってませんので発行済株式数は1,000株で理論株価は180円に上がります。
先ほどの自社株買いをした時の株価が175円でした。本当は同じくらい儲かる投資案件があれば、理論株価を180円に上げられるはずです。
それをしないということは、今ほどの投資案件はもうないよというメッセージを与えていることになります。
よって市場に大きい成長が期待されているような企業は自社株買いは公表してはいけないんですね。
まとめ
今回は自社株買いの株価への実務的な影響を考えてみました。
こうして分析してみると企業のIR戦略というのは奥が深い気がしますね。
自分たちが発する言葉や行動が市場にどう受け止められるかは思った以上にセンシティブな問題です。
実際に今回の記事で取り上げたようなB/Sのモデルを使ってみながら、どんなメッセージを与えるだろうかと考えてみることも意思決定に役立ちますのでぜひチャレンジしてみてください。
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今回のキーポイント
- 自社株買いは企業から投資家へ株価が割安だというメッセージだ
- 投資案件がないとも受け取られることに留意しよう
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